どうも!ブランドクリエイターの中江です。
今日は「創業184年の江戸時代から続く老舗の和菓子屋は、なぜ倒産したか?」というテーマでお話していきたいと思います。
こちらは、先日、Instagramで公開したポストの深堀記事になります。
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今回、「倒産の世界」で取り上げたのは、創業184年を誇る老舗企業「花園万頭」です。
2018年5月、花園万頭は、東京地裁に 自己破産を申請しました。
破産申請後、パティスリー銀座千疋屋がスポンサーとなり、現在は営業は継続しています。
花園万頭は創業184年の老舗の和菓子 メーカーです。
看板商品は「花園万頭」 と「ぬれ甘なつと」でした。
画像出典:https://tabelog.com/
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花園万頭は、江戸時代の1834年に、加賀藩の金沢で、石川屋本舗として豆菓子を製造したことが始まりとされています。
1906年には3代目が東京進出し
日本一高い、日本一うまい
というキャッチコピーを考え、花園万頭を開発し、大ヒットさせました。
そして、1949年には「ぬれ甘なつと」も生まれ、こちらもロングセラー商品となります。
この2つを看板商品にして、首都圏の百貨店にも進出し、1992年には売上は47億円に到達していました。
では、なぜ倒産したのでしょうか?
メディアからは工場の新設や移転、不可解なタイミングでの本社ビルの建て替え、東京駅構内の稼ぎ頭の2店舗が閉鎖したことなど様々な原因が指摘されていました。
ですが、決定的な要因は花園万頭が「ブランドとしての理想」を失ったからだと思います。
この場合だと
どんな和菓子を作ることを目指すのか?
という志です。
花園万頭の最後のヒット商品は1949年の「ぬれ甘なつと」です。
それ以来、70年間ヒット商品がありません。
70年もあれば社会の価値観もニーズも変わります。
老舗企業といえど、変化に対応しない企業は潰れていきます。
もちろん商品開発は行っていたそうですが、ヒット商品を出せないということは、ブランドとしての理想が足りないからだと思います。
ブランドとしての理想がなければ、どんな商品を開発すれば良いのかという指針すら生まれません。
実際に商品開発は迷走していたそうです。
そして、バブル崩壊後に、工場の新設費用、移転費用が重なり、財務が徐々に弱体化していきます。
それとともに既存の商品にすら変化が出てきました。
お客さんは口々に
商品の味が変わった
と漏らすようになります。
賞味期限を伸ばすために脱酸素材の対象商品を増やし、手作りだった金つばもいつの間にか機械で製造していました。
そして、花園万頭のファンがよく購入していた生菓子の販売も停止しました。
生菓子は日持ちはせず、利益率も低いですが、店舗でしか買えない商品であり、リピーターになる要因となる商品でした。
これまで大切にしてきた花園万頭のブランドとしての理想を捨ててしまったのです。
東京駅構内にあった稼ぎ頭の2店舗が閉鎖したことも倒産の大きな要因として挙げられていました。
ですが、本当に商品力があり、東京駅構内に残ってもらいたい店であれば、駅側から移転の要請もあったでしょう。
それすらないくらい商品力が落ちてしまったのです。
花園万頭は、どんな和菓子を作ることを目指すのか?
というブランドの理想を再構築し、本当に世の中に求められる商品を開発できていれば、販路はあったので潰れなかったでしょう 。
これだけ
- 売上を上げてきたから
- シェアを獲得してきたから
- 認知されてきたから
- 歴史があるのだから
という成功体験にあぐらをかく姿勢は経営においては禁物です。
成功体験にあぐらをかき、これまでの勝ちパターンに固執し、世の中の変化に応じて、自社を進化していかなかったら、時代に取り残されていくだけです。
花園万頭はまさにそれを教えてくれる倒産劇でした。
では、今回は以上になります!
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